2006年08月18日
☆焼津祭り
わたしは、焼津出身なのですが。私の故郷には、規模は小さくとも由緒正しく、スピリットばりばりの、お祭りがあります。
それは、誇りです。
もとは、漁師のお祭りで闘神ヤマトタケルノミコトを祭る焼津神社に、二基のお御輿を白装束に身を包んだ男衆が、担ぎ練り歩くのです。
祖父は漁師でした。その頃は、女子はお御輿を触る事や、妊婦に至っては観てもいけなかったとの事。
今は、時代も変わり、女子達が参加して成立しています。
かつて私もかなりのお祭り女で、祭りの間の三日間はほとんど家に帰らず、声を枯らし肩に担ぎ痣を、こしらえる始末でした。
お祭りは、下準備に時間がかかります。何ヵ月も。大口を叩けば一年かかると言っても、過言ではないのじゃないかしら。
町を離れる若者が、我町にも増え、この由緒正しい、焼津の祭り『荒祭り』も維持が厳しくなる一方でしょう。私自身、脈々と流れている焼津の血を感じながらも、町を離れ、なんの協力もできない一人です。
それでも!祭りを愛し護り続けている、熱い魂を持ち続けている人達がいるのです。
すばらしい!美しい!
私は、夏になると、粛粛とした神社に、もうもうと立ち上がる埃、汗とアルコールの入り混じった匂いを思い出します。
故郷を捨てても、血の中に魂と遺伝子は流れ続けているのですね。
お祭りと、演劇は似ています。「踊る阿呆に観る阿呆、どうせやるなら、踊らにゃ、ソンソン」
お祭りのような、血沸き肉踊る舞台をしたい。
きっと、それが私のルーツ。
安伊子
それは、誇りです。
もとは、漁師のお祭りで闘神ヤマトタケルノミコトを祭る焼津神社に、二基のお御輿を白装束に身を包んだ男衆が、担ぎ練り歩くのです。
祖父は漁師でした。その頃は、女子はお御輿を触る事や、妊婦に至っては観てもいけなかったとの事。
今は、時代も変わり、女子達が参加して成立しています。
かつて私もかなりのお祭り女で、祭りの間の三日間はほとんど家に帰らず、声を枯らし肩に担ぎ痣を、こしらえる始末でした。
お祭りは、下準備に時間がかかります。何ヵ月も。大口を叩けば一年かかると言っても、過言ではないのじゃないかしら。
町を離れる若者が、我町にも増え、この由緒正しい、焼津の祭り『荒祭り』も維持が厳しくなる一方でしょう。私自身、脈々と流れている焼津の血を感じながらも、町を離れ、なんの協力もできない一人です。
それでも!祭りを愛し護り続けている、熱い魂を持ち続けている人達がいるのです。
すばらしい!美しい!
私は、夏になると、粛粛とした神社に、もうもうと立ち上がる埃、汗とアルコールの入り混じった匂いを思い出します。
故郷を捨てても、血の中に魂と遺伝子は流れ続けているのですね。
お祭りと、演劇は似ています。「踊る阿呆に観る阿呆、どうせやるなら、踊らにゃ、ソンソン」
お祭りのような、血沸き肉踊る舞台をしたい。
きっと、それが私のルーツ。
安伊子